ひまつぶしのおともだち

やる気が出ないそんな時、サクッと手軽に気分転換

【ブログ小説】赤リップが似合わない人はいない?

 

 熾烈を極めた受験戦争ではなんとか無事に第一志望校を制覇し、三年間お世話になった高校も卒業してしまい、JKの肩書きと仲間との別れを惜しんだ三月。一応便宜上はまだ高校に所属しているのことになっているとはいえ実質ニートの日々を満喫している中、私は来たる大学デビューに向けてとある一大決心をして、五千円の入った財布を手にデパートの中に足を踏み入れた。

 目指すはそう、デパートコスメ、通称デパコス。

 

 私は化粧をしたことが人生でただの一度もなかった。

 私の通っていた高校は校則が厳しく、メイクをして来ようものなら先生に捕まり、生徒指導室へ直行。連行された友達曰く、生徒指導室にはクレンジングシートが常備されており、メイクをしていないかどうか確かめるために、それで顔を拭くことを強要されるらしい。そしてシートに肌色やら黒い繊維やらが付着してしまうと、ファンデーションやマスカラを使用している、と怒られてしまうのだ。

 一年生の頃こそ、メイクをして来ては目を付けられていた友達も、三年生になる頃には化粧をしているようには見えないが顔面が盛れるスクールメイクと呼ばれる技術を習得しており、クレンジングシートにも色がつかないように透明な下地やトーンアップ効果のある日焼け止めを採用したと話してくれた。

 なぜ化粧をしたことのない私がこんなにメイク用語について詳しいかと言うと、理由はただ簡単、調べたからだ。

 高校の頃までは化粧厳禁と口酸っぱく言われて育ってきたにも関わらず、大学生になった途端に「化粧は女の常識」という寝耳に水なルールを押し付けられるのだから、真面目に言いつけを守って来た女子はたまったもんじゃない。だったら自由参加型の化粧講座を高校の授業でやって欲しいと思ってしまう。

 そういうわけで、これからの出会いの季節、新生活のスタートダッシュで恥をかかないよう、あらかじめ知識だけは頭に叩き込んできたのだった。ネットが発達している時代でよかった。無料で様々な知識が手に入る。

 そうしてネットサーフィンを続け、さあ実際にコスメを買いに行こうという最終段階になって、私は気になるウェブ記事を見つけた。

 “絶対に似合うリップが見つかる店”

 そんなタイトルに目を惹かれて、そのサイトをクリックすると、デパコスなのに格安でリップを販売しているブランドがあり、しかも絶対に似合う口紅を見繕ってくれるというのだ。

 メイクが禁止ならバイトも禁止だった私の閑古鳥が鳴くお財布事情にはありがたすぎて逆に不気味な話だったが、プロに見繕って貰えるとなると話は別だ。ドラッグストアでたくさんのリップに囲まれ結局何も買えずに帰路につく自分が容易に想像できる。メイク初心者の私が、自身に似合う色の区別が付けられるとは到底思えない。

 私はその情報を信じ、自宅から最も近くにある店舗まで足を運び、現在に至るのだった。f:id:yokosukanami:20190713155451j:plain

 

 一歩デパートの中に入ると、数えきれないくらいのコスメブランドがあちらこちらに並んでいた。間隔を空けずにお店が設営されているので、どこまでがどのブランドの陣地かよく分からない。香水も販売されているのかコスメそのものの成分なのか、良い匂いがいたるところから漂ってきた。

 私はお目当てのブランドを探すべく足を進める。どこのブランドも時に可愛らしく時にかっこよく、テレビのコマーシャルでよく見かけるような私でも高級品と知っているようなブランド名もあった。

 初めてのことに、心臓がドキドキと波打っている。周りを見渡せば、お客さんは海外からの旅行客かお母さんくらいの年齢の人たちが多かった。こんな小娘が入る場所ではない、と誰からともなく責められているような気分にさせられる。

 それでもなんとかすぐに目的のお店に辿りつくことができた。たまたま私が入った入り口から近い場所にあってよかった。とにかく一安心、とホッと胸を撫で下ろし、さてここからどうやって買い物をすればいいんだろうと店の真ん前ど真ん中で立ち尽くしていると、

「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」

 綺麗なお姉さんが話しかけてくれた。店員さんのようだった。

 ツヤツヤした黒髪を頭の後ろでぴっちりとお団子にし、黒いパンツスーツを身にまとった、キャリアウーマンとはこの人を例えた言葉なんじゃないかと思えるくらいかっこいい女性だった。

「あ、の、私にも似合う、リップが見つかる、って聞いて」

 一ミリも化粧をしていない芋臭い女がどもりながら聞いてしまった。自己紹介するまでもなくメイク初心者が藁をもすがる思いでここまでやって来ました助けてください、と宣言しているようなものだった。

「かしこまりました。こちらでお待ちください」

 お姉さんは第一印象から確実につまずいた私に対してもにこやかな笑顔を返してくれ、年齢も低ければお金を持っていそうな身なりもしていないのに、きちんと客として扱ってくれる。とても良い人だ。

 通されたのは正面に大きな鏡が設置されているカウンター席。鏡の左右には数個ずつ電球が長方形の鏡の形に沿って縦に並んで灯っており、鏡の向こうにいる私の瞳の中に小さなライトが浮かんだ。まだ何も肌に乗せていないというのに、それだけでなぜか可愛くなった気がした。

 指示された通り、椅子の脇に置いてあったカゴの中に荷物を入れ、お姉さんを待っていると、すぐに数本のリップを持って現れた。

「失礼ながら私がいくつか、お客様に似合いそうなものを選ばせて頂きました」

 なんと、何も言っていないのにこのお姉さんはオススメを持って来てくれたのだった。

「あ、ありがとうございます!」

「とんでもないです。実際に乗せてみますか?」

「お願いします!」

 意気揚々と、初めて髪を切られる子供みたいなワクワク感と共に、私はお姉さんの方に顔を向けた。お姉さんはリップブラシでリップをとり、丁寧に私の唇に色を乗せてくれる。下唇にさらっと塗られたと思ったら、

「んまんましてください」

 と言われ、最初はよく理解できなかった。固まってしまった私を見て、お姉さんが上唇と下唇を口の内側に入れる動作をお手本として見せてくれた。

 これで合ってるかな、と不安になりながらもお姉さんの動きを真似して口を動かす。お姉さんが変わらぬ笑顔で頷いてくれる。リップ塗る時ってこういうことするんだ。やっぱり知識だけじゃメイクは上達しないんだなと実感した瞬間だった。

「じゃあ整えますね」

 もう一度お姉さんが私の口にブラシを当てる。少しの間、ささっと撫でられたと思ったら、

「できました。鏡をご覧になってください」

 お姉さんから鏡に視線を戻すと、真っ赤な唇をした私がそこにいた。

「赤……!?」

 こんな大人っぽい色に最初から挑戦するなんて、と最初は衝撃を受けた。しかし口裂け女のように似合わないわけじゃないのだ。

 似合っているのだ、不思議と。

「強そう……」

 強そうなどと発言してしまう時点で私は弱いと言っているようなものじゃないか、と口にした後に気づいた。

 真紅と形容しても違和感のない色味。今まで、酸いも甘いも知り尽くした熟年女性か才能と気品に溢れる悪女にしか許されないと思い込んでいた、そんな色が自分の顔を彩っているなんて、なんだか攻撃力の高い武器を装備したみたいだった。

「どうですか?」

 ニコニコとリアクションを求めてくるお姉さんにハッとする。

「あ、赤なんて大人っぽすぎて絶対似合わないと思ってました!」

「そんなことないですよ。血の色も赤ですから、人間の持っている元々の色と一緒なんです。だから、男性女性関わらず、似合わない人なんていないんですよ」

 ふえぇ、とお姉さんの高い説得力に思わず語彙を失ってしまった。お姉さんは次のリップを両手の上に並べて見せ、

「他の色も試しますか?」

 と、柔らかく小首を傾げた。

 私はそれに二つ返事で了承した。

 

 それからお姉さんは様々な赤色を私に提案してくれた。

 ピンクっぽい赤、オレンジっぽい赤、茶色っぽい赤、紫っぽい赤……。

 どの色も私の雰囲気をガラッと変えてくれて、新しい私を短時間で何度も目の当たりにすることになった。驚いたのは、赤だけでこんなに種類があるということと、リップ一つで人の印象が簡単に変化すること。

 お姉さんが持って来てくれた全ての色を試し終えて、クレンジングシートで唇を拭いていると、お姉さんがいかがなさいますか、訪ねてくれた。

「……やっぱり、最初の色が一番好きです。これください」

「かしこまりました」

 お姉さんは恭しく頭を下げて、新品を持ってくると言ってコスメカウンターの引き出しを開けていた。私はその間にカバンから財布を取り出す。

 安いとは聞いていたものの、念のために五千円を持って来ていた。こういうところでのリップの相場は二千円から三千円台くらいだと聞いていたので、多分足りないということはないと思う。

「こちらでお間違いないでしょうか」

 と、お姉さんが新しく持って来てくれた新品の箱を開けて中身の口紅を取り出し、さらにキャップを開けてくるりと回転させ、本体の姿を覗かせた。最初に塗った色と同じものだということを確認して、お姉さんがそれを袋に入れてくれる。

「では、税込で千円でございます」

 安い。

 最悪五千円を覚悟していた身としては、五分の一の値段に収まったことに驚きを隠せない。

 お姉さんが商品と一緒に持って来てくれた黒いキャッシュトレイに千円札を置く。

 これで目的は達成、すぐに家に帰ってお母さんに自慢しよう。

 お母さんの羨望の眼差しを想像して、カバンを持って帰ろうとすると、

「それではこちらへ」

 と、お姉さんはなぜかコスメカウンターの奥の奥、カーテンで仕切られている部屋へと誘導して来た。

 まだ何かあるのだろうか、と私は荷物を持ったままなんの疑いもなくその背中についていった。

 

 仕切りの向こう側は簡易的な小さな部屋になっていて、丸い背もたれのない椅子が二つとその横にデスクが一つ。デスクの上には医療機器のようなものが並んでいた。

 予防注射の時によく見るものだった。

「それではこちらにお座りください」

 疑問符が頭の周りを駆け巡るのを抑えられないまま、私は座ってしまった。これから何をされるのか何が始まるのか皆目見当がつかない。

「はい、じゃあ右手出して、掌を上にして軽く握ってください」

 そう言って、お姉さんは慣れた手つきで私の袖をまくり、二の腕をゴム製の短いロープで強く結ぶ。そして肘あたりを消毒液のついたコットンで軽く二、三回撫でると、注射器をプスッとぶっ刺した。

「うぇぇぇぇぇ???」

 なんで?なんで私献血されてるの?

 注射器の中にどくどくと血が溜まっていく。動いたら危ないことくらいわかるので私は混乱しつつも、何もできない。

「はい、ありがとうございました」

 注射が上手いのか、大した痛みもないままするっと注射器を抜いて、刺していた場所を上からコットンで強く抑えられる。そのままコットンを固定しておくように指示され、お姉さんは二の腕のロープをぱっぱと解くと注射をした後に傷口に貼るシールを私の手を退けてぺたりと貼った。

「はい、これでお代は全て頂戴しました、またのご来店をお待ちしております」

 終始変な顔をしていた私には微塵も触れず、さっさとコスメカウンターの外まで見送られてしまった。

 とはいえ、さすがにこのままでは帰れない。

「あの、今のって……」

「言ったでしょう?お客様」

 と、お姉さんは会った時からの微笑みを絶やさぬまま、

「赤は血の色、と」

 その笑顔がとても怖いと思った。

 

 その場から逃げるように家に帰ってから、どっと疲れた私はデパコスを買ったことなど親に言う気にもならず、カバンから購入したリップを取り出して、私はベッドにダイブした。

 スプリングの悲鳴を聞きながら、なんとなくそのリップの底を覗き込んだ。

 “マリ”

 商品番号のようなアルファベットと数字が並ぶ中で、色の名前のような文字が目に入った。

 マリなんて色聞いたことはないけれど、色を表す日本語には私の知らない難解なものが多いからその一つだろう、と思考を止めようとした時、不気味な仮説が頭をよぎった。

「もしかしてこれ……マリさんって人の血から作られたリップなんじゃ……」

 ブルリと背筋が凍ったのがわかった。

 考え過ぎだとも思った。

 それでも、そのリップを使う気には、どうしてもなれなかった。

 

 

    終わり