ひまつぶしのおともだち

やる気が出ないそんな時、サクッと手軽に気分転換

【ブログ小説】いなくなったあの子

 ある夏の晴れた日、天気とは裏腹に僕は神社で泣いていた。

 いつも通りといえばいつも通り、小学校のいじめっ子たちに公園でいじめられ、大した抵抗も出来ずに呆気なくやられてここまで逃げてきたんだ。

 もっと強くなりたい。

 喧嘩も、心も。

「なんで泣いてるの?」

 涙で歪んだ視界の向こうで、ショートカットの女の子が僕を不思議そうに見つめていた。

 身長は僕と同じくらい、白いワンピースが印象的だった。

「え……だれ?」

「この神社の神主の孫よ。たまたま遊びに来てるの。ね、それよりなんで泣いてるの?」

 同い年くらいの女の子は座っている僕に合わせてしゃがみこんだ。

「い、いじめられた……」

「そうなの、誰に?」

「同じ学校の……僕よりもっと大きいやつ……」

「その子に勝ちたい?」

「…………」

 僕はしばらく黙り込んだ後にコクリと頷いた。

 そんな僕を見て何を思ったのかわからないけど、彼女はそっかと言って立ち上がった。

「私の言う通りにすれば強くなれるよって言ったら、信じる?」

 夏の太陽を背にした彼女は、なんだかとても頼もしそうに見えた。

 

 沙織ちゃんという名前らしい。

 沙織ちゃんのおじいちゃんは神社の神主、でもお父さんは武道家らしい。

 沙織ちゃんは空手を習っているんだって。

 僕は毎週土曜日のお昼に、神社で待ち合わせをして、沙織ちゃんに空手の基礎から叩き込まれた。会わない日は家で指示されたメニューをこなした。

 みっちりと特訓をしてもらうこと一ヶ月。

 夏休み最終日、沙織ちゃんは僕と手合わせを終えると、にっこりと笑った。

「ここまで強くなれば素人くらいは倒せると思うわ」

 帯の色はまだまだだけどね、と彼女は続けた。

「……沙織ちゃんとはもう、会えなくなっちゃう?」

「そうね、夏休み終わるから私もここに頻繁には来れないわね」

「で、でも僕明日いじめっ子と勝負するから、結果聞いてよ!」

「いいわよ」

 そういって彼女は自分の住んでる家の住所を教えてくれた。

 隣町だったけど、自転車を飛ばせば会いに行ける距離だった。

「……また、ここに来てくれる?」

「うん、約束」

 指切りげんまんをして、その日は沙織ちゃんとバイバイした。

 

 僕は次の日、すぐにいじめっ子に戦いを挑んだ。

 いつもいじめられる公園で、いじめに来たやつらに僕は勇気を出して抵抗した。

 最初は震えた。今まで何度も痛い思いをしてきた記憶が蘇る。

 でも、沙織ちゃんの顔を思い浮かべると、不思議と怖くはなくなった。

 三対一。負けるかもしれない。痛いかもしれない。

 それでも僕は沙織ちゃんに習ったことに自信を持っていた。

 

 勝てたよ、沙織ちゃん。

 僕、泣かなかった。

 今から会いに行くね。

 

 沙織ちゃんに会いたい。

 僕は土曜日のお昼、自転車を飛ばして神社に向かった。

 石段を過去最高速度に駆け上って、ショートカットの女の子の姿を必死に探した。

 でも、いたのは木の葉を掃いている神主のおじいちゃんだけだった。

「…………約束、したのに」

 沙織ちゃんはいなくなってしまった。

 

 僕は自転車にもう一度飛び乗って、沙織ちゃんに教えてもらった住所まで走った。

 確か、確かこの辺り。

 隣町の全く知らない街の風景に少し戸惑った。

 正直道も全然わからない。

 近くに高校があるみたいで、制服姿の大きいお兄さんお姉さんたちがすれ違っていく。

 その集団の中に、沙織ちゃんを見つけた。

「え…………」

 なんでセーラー服着てるの……?

 

「あーっ!!」

 沙織ちゃんは僕に気づくと、一緒にいた友達らしき同じ制服に身を包んだ高校生たちに一言断ってからこっちに駆け寄ってきた。

「ごめんね、行くつもりだったんだけど、部活があって」

 ぶ、ぶかつ……?

「で、どうだった?」

「か、勝った」

 僕の言葉を聞くと、沙織ちゃんはニンマリと笑った。

「よくやった!!!」

 わしゃわしゃと頭をかき混ぜられる。

 それがくすぐったくて嬉しくて、ホワホワした気持ちになった。

 一番伝えたかったことを伝えられてスッキリすると、モヤモヤが一気に押し寄せてきた。

「待って、なんで、そんな服着てるの?」

「だから、部活だったからって」

「さ、沙織ちゃんって何歳なの……?」

「十八」

 じゅうはち……?

 同い年じゃなかったの……?

「待って、私小学生だと思われてたの!?身長低いからしょうがないけどさ!」

 流石にショック、とケラケラする沙織ちゃんに理解が追いつかない。

 小学生だった沙織ちゃんはいなくなってしまった。

 

「ね、まだ強くなりたいなら、もし空手が楽しくなったなら、うちの道場紹介するけど、どう?」

 いつの間にかに随分と大人になってしまった沙織ちゃんが僕の顔を覗き込む。

 僕は自分に誓う。

 沙織ちゃんにふさわしい男になってやると。

「よろしくお願いします!」

「元気でよろしい!」

 とんでもない年の差の女の子に恋をしてしまったんだと気付いた、十歳の夏だった。

 

 

終わり

 

【ブログ小説】爽やかな人には裏がある

 大学二年になってから新しくカフェのアルバイトを始めた。お客さんが注文したものを自分でテーブルまで持っていき、片付けも自身で行うセルフサービスの、価格帯が低いよくあるカフェだ。

 そこの同じアルバイト店員に、いけ好かない年下の男がいた。

 斉藤奏也(さいとうそうや)。専門一年。俺は心の中で「さわやかくん」と呼んでいる。

 何がいけ好かないのかというと、あだ名通り、無駄に爽やかなのだ。

 具体的なエピソードを話そう。

 新しく始めたといってもこのバイト先でもう半年経った俺よりもさらに最近に入ってきた高校生の女の子が失敗をした時の話だ。彼女はコップを割ってしまい、掃除用品がどこかもガラスをどう処理すればいいかも分からずあたふたしていた。これはいかんと思ったが彼女同様イマイチ分からない俺を遮ってやつは「僕がやっておくよ」と爽やかスマイルをぶちかましたのだ。

 後日、シフトが重なって仲良くなった女子高生が俺に話したのは、さわやかくんへのささやかな恋心。恋愛相談を受ける羽目になったのだった。

 知らん、あんなやつの落とし方なぞ。

 なんて無下にするわけにもいかないので、俺は彼女の希望通り、さわやかくんの好みやら趣味やらを聞き出すために意識的に彼と仲を深めることになったのだが、知れば知るほど爽やかで腹立たしい。

 そう、俺がさわやかくんをいけ好かないと思っているのは、完全な嫉妬である。

 他の軽いエピソードも追加しておくと、カウンターで女子高生に名前やシフトを聞かれたり、常連のマダムに手土産を貰ったりしている。それも一度や二度ではない。

 年齢問わず女子にモテるわ、顔はいいわ、性格はいいわ。

 そりゃあ嫌味ったらしいあだ名の一つも付けたくなるってもんだろ?

 

「なんだか今日は疲れましたね」

 月明かりが綺麗な夜道。クローズ作業を終えて、俺たちはバイト先から最寄りの駅までの数分を一緒に歩いていた。

 女子高生の淡い片思いを応援することになった俺は、やつの情報を得るべく沢山話しかけるようにしていたのだが、それが功を奏したのか、さわやかくんは若干俺に懐いてきた。気がする。

「いつもより多かったよな、お客さん」

「何かイベントでもあったんですかね」

 言われてみれば駅前がいつもより賑わっていたような。今日は遅刻ギリギリを攻めてしまったせいで、周りに目を配る余裕がなかったからなぁ。

 なんとなく足元にあった小石をコロン、と蹴った先に誰かが立ちはだかっているのに気づいた。

 こんな道の真ん中で邪魔だなぁ、と思いながら避けようとすると、さわやかくんも隣で立ち止まってしまっていた。

「…………」

「?どうしたんだよ?行こうぜ」

「久しぶりだな」

 俺が様子のおかしいさわやかくんに声をかけた直後、通せんぼをしていた男が口を開いた。ガタイの良いスキンヘッドが月の光を反射している。耳や口にピアスを複数つけていて、そこはもう穴が空いているのになんでわざわざ別の穴を開けるんだろう、と見当違いなことが浮かんだ。

「……今、先輩が一緒だから、場所を変えよう」

 黙りっぱなしだったさわやかくんがいつもより低い声色と共に相手に顎で示した。スキンヘッドはふん、と鼻で返事をするとついてこいとばかりにずんずんと大股で歩き始める。

「それじゃ、先輩、また」

「あ、あぁ、うん」

 さわやかくんは、いつもの爽やかな笑顔を俺に向けると、彼とは正反対のジャンルに位置する、体格が二倍くらいも違う男の後ろにおとなしくついて行ってしまった。

 

 あーんな気になる素ぶりを見せられて尾行しないわけないだろ。

 気づかれないように距離を開けて追っていたせいで、一瞬見失ってしまったが、すぐに二人は見つかった。二人というか、四人になっていた。

 人目のつかない路地裏の裏。明かりも薄暗く狭いところで、さわやかくんとスキンヘッドが対峙していたのだが、スキンヘッドの後ろにはもう二人増えていた。

 どう考えても不穏な気配しかない。さわやかくんのことはいけ好かないと常々思っていたが、誰かにボコボコにされちまえとまでは願っていないぞ。

 どうしよう、俺も加勢した方が良いんだろうか。なんて悩んでいるうちに、さわやかくんが背負っていたリュックを隅に投げ捨てた。それが合図になったかのように三人が彼に一斉に飛びかかる。

 俺は思わず顔をそらして目を瞑った。

 

 結論から言うと、さわやかくんは無傷だった。

 今までの虫も殺さぬ笑顔はなんだったんだと聞きたいくらい、めちゃくちゃ喧嘩が強かった。

 三対一で、多勢に無勢。けれどあの身のこなしはきっと大勢を相手にする戦い方を知っている。今まで何度もそういう喧嘩をしてきたんだろうな、とすぐに察せるような、手慣れた勝利。

 地面に倒れて気絶している柄の悪い三人の中でぽつんと立って服の汚れをはたいている彼は、なんだかとても不気味に感じて、目が離せなかった。

 目が離せなかったので、バッチリと目が合った。

 彼がゆっくりとこちらに近づいてきて、俺は観念してそれを待つ。

「……先輩、見ちゃいましたか?」

 しゃがみ込んでいた俺に合わせて、さわやかくんが膝に手をついて腰を折った。いつもの笑顔を顔面に貼り付けて。

「……俺も殴るのか?」

「しませんよ、そんなこと」

 困ったように彼は笑った。頬についた返り血を親指で拭い取る。

「ただ、このことは秘密にしておいて欲しいんです。やっと見つけた、普通のバイト先なんで」

 ちょっと話しましょうか、と彼は近くの公園に俺を誘った。

 

 夜の公園のベンチに俺たちは腰を下ろす。口止め料のつもりか、さわやかくんは自販機で缶ジュースをおごってくれた。

「……俺、高校の時までずっとグレてたんです、地元では結構有名で」

 さわやかくんがポツリポツリと話し始めた。

「でも妹が小学校に上がるので、その時に兄貴がこんなんじゃ嫌だろうと思って、不良やめようって。馬鹿な俺でも入れるような専門学校に入学して、それを機に一人暮らしも始めました。最初はそれでも俺のことを知ってるやつが喧嘩を吹っかけてきて、……さっきみたいに、それに乗る毎日でした。多分、俺の中で、喧嘩出来なくて消化不良を起こしてた部分もあると思います……。それですぐにバイトも遅刻とかでクビになっちゃって……。最近やっと落ち着いてきて、今のバイトなんです」

 俺は聞きながらジュースをグビリと煽る。さわやかくんは自分の缶ジュースを手の中でくるくると回していた。

「だから、お願いします。このことは誰にも言わないでください。折角見つけた居心地のいいバイト先なんで、辞めたくないです。俺、なんでもしますから……」

 暴力を振るっていた時とは全く違う表情。ふるふると震える大きな瞳で俺を捉えていた。汗ばんだ硬い手が俺の右手をぎゅっと握ってくる。

 俺はその顔を見つめてながら、一つの案が思い浮かんだ。

「…………なんでもすんの?」

「で、出来る範囲でお願いします……」

 俺の問いに尻すぼみになる返答。俺は握られていた手を振り払い、飲み干した空き缶を近くのゴミ箱に投げ入れた。

「じゃあ、今度俺んち来いよ」

「え……先輩の家に、ですか?」

「そう」

 俺と喧嘩しようぜ、と言うとさわやかくんは嫌そうに眉を顰めた。

 

 後日。

「……先輩の家、道場なんですね……」

 貸出用の道着の帯を締めながら、さわやかくんは物珍しそうにキョロキョロと周りを見渡していた。

「親父がやってるんだけどね、お陰様で俺も結構強くなったよ」

 俺もキュと帯を締めて、さわやかくんに向かい合う。今にも取っ組み合いが始まりそうな空気に彼は少し慌て始めた。

「お、俺ルールわかんないんですけど、いいんですか?」

「いいよ、ただし、急所はなしな」

 じゃあ始め、と俺が適当に宣言して、俺たちの喧嘩が幕を開けた。

 

「……はあ、先輩、めちゃくちゃ…はっ…強いじゃ、ないですか、はぁっ」

「お前もな……」

 一通りやり終えて疲れたので、壁に背中をつけた姿勢で、俺たちは座って休んでいた。

 各々持っていたペットボトルのスポーツ飲料をガブガブと喉に押し込むと、体が喜んでいるのを感じる。

「…………」

「…………」

 しばらく息切れと沈黙が流れた。

 お互い息を整えながら、頭に酸素を送り込んで、何か話題を探している気配だけが淀んでいた。

「……お前さ」

「はい?」

 先に沈黙を破ったのは俺だった。

「なんか喧嘩出来なくて不完全燃焼してる、みたいなこと言ってたじゃん。そんなに体動かしたいなら、たまになら俺が相手してやってもいいよって」

 思っただけ。だからここに呼んだの。そんだけ。

 そう付け加えると、さわやかくんがキラキラとした瞳でこちらに尊敬のような羨望のような眼差しを向け始めた。

「……俺、先輩のことすごく爽やかな人だと思ってました」

「そりゃお前だ」

「めちゃくちゃ空手強いなんてギャップですね」

「それもお前だ」

 一体俺のどこが爽やかだったっていうんだ。お前の目は節穴か。

「いや先輩の接客スマイル爽やかすぎて常連さんに先輩の名前とかシフトとかよく聞かれるんですからね、俺!」

 はいはい、お気遣いどうも。俺は単純だからそれが嘘でも全然嬉しい。

「……決めました」

 何を?

「俺、ここの道場入ります!それで、先輩に弟子入りします!!」

 よろしくお願いします!!とさわやかくんは勢いよく頭を下げた。

 ちょっと待ってくれ。

 話がなんだか予想とは違う方向に逸れまくっている気がするぞ。

 俺は両手を前に出して彼を宥めるように拒否した。

「とりあえず、入門するなら俺じゃなくて親父に言ってもらえる?」

 

 ついでに、同じバイトの女子高生にやつはやめておいた方がいいと、誰か伝えといてもらえますか。

 

 

 

 終わり

【ブログ小説】始まりは一回、終わりは二回

 なんで俺がこんな目に。

 夏休みの補習帰り、あともう少しで家だと言うのに、たまたますれ違った柄の悪い連中の肩にぶつかってしまった。

 すいません、と軽く会釈して去ろうとしたら、あっという間に胸ぐらを掴まれて人気のない路地裏へと連れ込まれてしまったのだ。引きずられながら抵抗を試みたが、腕力の差を実感するだけで終わった。

「金出せよ」

 がっしりした体格、いかつい顔立ち、チャラチャラしたピアス。俺は不良三拍子が揃った男二人組に壁ドンされて、金銭を要求されていた。低い声であぁ?と脅されてしまえば対抗する勇気などは跡形もなくしぼんでいく。

 正直お金は払いたくないが、一刻も早くここから逃げ出したいという気持ちの方が圧倒的に優っていた。俺は怯えながら、素直に肩から下げていたスクールバックに手を突っ込み、ガクガクと震える手で財布を漁った。

 その時、

「やめなよ」

 漫画だったら主人公の登場のシーンのような、タイミングの良さ、かっこよさでショートカットの女の子が現れた。右手にはコンビニの袋。オーバーサイズのTシャツの裾からはスキニーに覆われたスラッとした足が覗いている。逆光で、顔はよく分からない。

「あ?」

 男二人の目線が俺から女の子へと逸れる。女の子は男どもの凄みなど物ともせず、堂々と一歩一歩こちらに近づいてきた。

 危ない、とか、来ちゃダメだ、とか頭の中には言葉がぐるぐると駆け巡ったけれど、体は全くいうことを聞かず、呆然と見ていることしかできない。

「カツアゲとか、ダサいからやめなって言ってんの」

「じゃあお前がこいつの代わりになんのか?」

 一人が、女の子の前に躍り出た。ガン飛ばしながら、つま先から髪の毛まで舐めるように見つめる。そして、可愛いじゃねぇかと小さく呟いた。

「お前が俺たちの相手をするなら、こいつは見逃してやってもいいぜ」

 と、男がニヤニヤしながら後ろにいる俺を親指で指した瞬間、

「お“っ!?」

 女の子の右足がノーモーションで勢いよく男の股間に直撃した。

 いわゆる、金的だ。

 男はカエルが潰れたような叫び声をあげて、股間を両手で押さえたままその場に崩れ落ちた。何もされていない俺の股間もヒュンとする。

「テメェ!!」

 その光景を目の当たりにして、俺のそばにいたもう一人が女の子に襲いかかる。大きく振りかぶった右腕を、女の子はするりと避けると、その場にコンビニの袋を落とし、なんの躊躇いもなく拳を男の鳩尾に深くめり込ませた。

 急所を食らった男はうめき声を上げ、腹を手で押さえるくの字の姿勢になった。女の子はその一瞬を見逃さずに、男の顔を掴むと顔面に自分の膝を激突させた。路地裏に鈍い音が響きわたり、男は鼻血をたらながらどさりとその場に倒れこんだ。

「行くよ」

 何もできずに腰を抜かしてしまった俺の手を女の子が握って、俺たちはその場を後にした。

 

「災難だったね」

 女の子がアイスコーヒーの氷をストローでカラカラとかき混ぜながら言った。

 あの場所からかなり離れたところにある静かな喫茶店で俺たちは腰を落ち着かせていた。

 まだ若干震えがおさまらない俺を心配して、女の子が気を利かせてちょっと休もうか、と入ってくれたのだった。

「うん、ありがとう、助かったよ……」

「いいよ全然、気にしないで」

 俺は目の前にあるアイスオーレに手をつけられないでいる。

 女の子にカッコ悪いところを見られてその上助けられて、いまだに動悸が静かにならないのを気遣ってもらっているなんて。

 感謝はしきれないほどしているが、恥ずかしい。

「なんで制服なの?夏休みだよね、今」

 俯いて黙ってしまった俺に耐えかねたのか、女の子がストローを吸いながら聞いてきた。

「あ、あぁうん。補習帰りで」

「補習受けてるんだ、偉いね」

「いや俺下の兄弟が遊び盛りで、家だと課題とか絶対できないから」

 それで、と結ぶと、女の子の顔が少しパッと明るくなった。

「君も兄弟いるんだ。ぼくもなんだよね。ぼくんちは上に二人なんだけど、洋服のお下がりが回ってくるんだ。ほらこのシャツは兄さんので、このズボンは姉さんの」

 共通点を発見したことが嬉しかったのか、女の子は揚々と着ていたTシャツを引っ張って見せた。痩せ型だからメンズもレディースも着こなせるよ、と姉に言われたのだそうで。

「俺も、着ていた服が兄弟のお下がりに勝手になってるよ」

「勝手にはないかな」

 ふふふ、と女の子が笑う。俺もつられて笑った。

 しばらく兄弟多いあるあるを話していると、勝手に時間が過ぎていった。

「あ、もうこんな時間」

 先に声を上げたのは女の子だった。

「ぼくもう帰らなきゃ」

 と、女の子がお会計の紙に手を伸ばす。

 俺は慌ててそれを制した。

「奢るよ。助けてもらったお礼もしてないし」

「え、いいのに、別に」

「俺が嫌なんだ、奢らせて」

「ん〜……わかった、甘えさせてもらうね、ありがとう」

 女の子は一度は躊躇ったが、俺が強く言うとあっさりと引いてくれた。

「喧嘩、強いんだね」

 レジでお金を払いながら気になっていたことを聞いてみると、

「あぁ、うん、空手習ってるから」

 今黒帯で今度大会があるんだ、と教えてくれた。本当に強いんだなと思った。

「へえ、応援に行きたいな」

「ぜひぜひ」

 そんなことを言いながらも、もう会うことはないだろうと俺は頭のどこかでわかっていた。連絡先を交換するわけでもない。クラスが同じわけでもない。たまたま近所で会った初対面の女の子に、これからまた何度も出会えるとは思えない。

 喫茶店の自動ドアから足を一歩踏み出すと、むわっとした夏の空気が出迎えた。空はまだ明るい。

「それじゃあ、今日は本当にありがとう」

「うん、じゃあまたね」

 バイバイと大きく手を振って走り去っていく彼女の背中に俺も手を振る。

 彼女が曲がり角を曲がって、完全に姿が視界からいなくなると、胸がズキンと傷ついたのがわかった。

 あぁ、俺、あの子のこと好きになっちゃってたんだな。

 今更気づいてもどうしようもない。遅い。遅すぎる。住所も学校も知らないのだ。なんのアクションも取れない。取りようがない。

「……初恋と失恋が同時にくるのはきついなぁ……」

 俺の呟きは入道雲の踊る青い空の中に吸い込まれていった。

 

 九月。始業式。

 体育館で全校朝礼の校長の長々しいよくわからない話を聞いた後、俺の学年だけがその場に残された。受験が来年に迫っている俺たちに、学年の先生からありがたいお言葉とありがたい激励があるそうで。

 他の学年の生徒たちが体育館から出る間は割と自由時間で休憩時間。各々が歩き回り、仲のいい友達とのお喋りに勤しんでいた。

 俺は特に話し相手もいなかったので、体育座りで疲れた膝を休めるべく立ち上がって、ポキポキと音を鳴らしながら体を伸ばしていた。

 すると肩をチョンチョンと後ろから誰かに突かれた。

 振り返ると、

「やあやあ、また会ったね」

「え!?」

 あの時の女の子がニコッと笑って立っていた。

 そうか、帰り際にまたねと言っていたのは、俺が着ていた制服で同じ学校だと分かったからか。シャツの胸ポケットについている胸章で学年もクラスも把握できる。それで、人数の多い全校集会はともかく学年集会でなら見つけられたというわけか。

 そこまで理解して、俺は同じ学校、学年だった嬉しさよりも別のところに目がいっていた。

「な、なんでズボン履いてんの……?」

「ん?男だからでしょ?」

 男…………だったのか…………。

「ぼく、見た目に無頓着だから髪の毛全然切らないし、服もお下がりになっちゃうんだよね」

 よく間違えられるよ、と彼は頭を左右に振って髪の毛をブンブンさせた。

 なるほど、男女の兄弟からのお下がりの服を着ることでユニセックスに、伸ばしっぱなしの髪の毛は男でも女でも通用する長さになるわけだ。

 加えて本人の容姿が中性的で細いシルエットだから尚更。

「それより、この前空手の大会応援しに来てくれるって言ったよね?」

 呆然とする俺をよそに、その話をしに来たんだけどいいかな?と彼は可愛らしく首を傾げた。

 俺は二度目の失恋を味わいながら、ゆっくりと返事をする。

「もちろん」

 まずはお互いの名前から。

 

 

 

終わり

【ブログ小説】気にしないようにするのも、気にしているのと一緒

 そうなんだ、大変だね、頑張ってね。

 そういってみんな去っていった。いなくなった。

 もしかして、と期待するのも、もう疲れてしまった。

 

「……やれやれだぜ」

 私は一言呟いて、人通りのない校舎裏を歩き出した。

 この言葉は自分が折れそうになった時に使うおまじない。口にすると、辛いことがあっても自分は気にしていないように思い込めるのだ。

 なぜおまじないを声に出しているかというと、私は今、クラスメイトに隠されてしまった自分の体操着を探しているからだ。

 クラスで権力の強い女子に運悪く目をつけられてしまい、最近は物を隠されることが多くなった。教科書、上履き、他にも色々。

 不幸中の幸いと言うべきか、まだそれ以上のことはされていない。ドラマでよくあるようなシーン、トイレに入っている時に水はかけられていないし、座る瞬間に椅子を引かれることも授業中にコンパスで刺されることもゴミを投げつけられることもない。

 ただ、物を隠されるのだ。

「やれやれだぜ……」

 自覚するとやっぱり心が折れそうになる。思考と一緒に止まりかける足をなんとかまた進める。

 隠される場所は毎回決まって人がいない場所だ。隠しているのだから当然といえば当然。ゴミ箱に捨てられることはよくあったので、無くなったことに気づいた直後に見つけるようになったせいか、向こうも隠し場所のバリエーションを増やしてきた。飽きさせないための工夫だろうか。私なんかのために頭を使うなんてご苦労なことだ。

 現在進行形で捜索中の体操着は、普段隠される王道スポットを全部回ったが発見できなかったため、校内で人気のないところをしらみつぶしに練り歩いているのだ。

 とは言え、体操着を隠されたことに気づいてからもう一時間は経つ。さすがに足も疲れてきたし、ゴールが見えないとなると、なかなか辛いものがある。

 私は校舎の壁に寄っかかって、ズリズリとそのまましゃがみこんだ。

 なんでもいいから癒されたい気分だ。

「……大量の柴犬に囲まれたい……」

「え?」

 私の独り言に反応する声があった。

 思わず顔を上げると、いつの間にいたのか、見知らぬ男子が驚いた顔をしてこちらを見ていた。

 バチッと目が合った瞬間、ボンッと小さなものが爆発するような音と共に煙が立ち込めた。

「え、何、何」

 状況が飲み込めずに煙がなくなるのをただ待っていると、さっきの男子はもうどこにもおらず、代わりに可愛らしい柴犬が幼気な目つきで立っていた。

「え!?」

 可愛い。これは可愛いぞ。

 さっきの男子がどこに行ったのかとかどうして煙が上がったのかとかもうどうでもよくなるくらい可愛い。柴犬の可愛さに比べれば世の中の全ては無力化されてしまうのだ。

 私の心は一瞬で目の前の柴犬に鷲掴みにされた。

「触ったら噛むかな……?」

 柴犬に目線を合わせるようにしゃがみ込み、恐る恐る手を差し伸べてみると、

 

「噛まないけどさぁ、お前もうちょっと焦れよ」

 

 犬が喋った。

「犬が喋った……」

 驚いて手を引っ込めて尻込みする私をよそに、柴犬は後ろ足で耳の裏を掻いていた。

「見られちまったもんはもうしょうがないからな」

 柴犬がそう言うと、また小さな爆発音と煙が上がった。空気が晴れると、そこには柴犬の代わりにさっきの男子が立っていた。

「え!?柴犬は!?」

「俺だよ」

「え」

 断じて違う。柴犬と人間を比べるのはあまりにも無理がある。主に可愛さが。

「信じてもらえねぇとは思うけど、俺は自分の名前と一緒に動物の名前を呼ばれると、その動物になっちまうんだよ」

 元に戻る分には自分でどうにかできんだけどな、と彼は困ったように付け加えた。

「お、お名前は……?」

「良(りょう)」

 た、大量の柴犬……。

 そう易々と信じられるはずもないけれど、瞬時に柴犬が消えたりこの良君が現れたりしているところを目の当たりにしてしまっている時点で、信じないわけにはいかなかった。あまりにファンタジーといえど、辻褄は合う。

 良君はついさっき柴犬が後ろ足で耳を掻いていたみたいに、頭の後ろをぽりぽりと掻いて、

「俺としては信じても信じてもらえなくてもどっちでもいーんだけど、とにかくこのことを誰にも言わないで欲しいんだよね、色々面倒だからさ」

「わ、わかった」

 言わないよ、と私は約束した。なんなら言えるような友達もいなかったし、誰かに話したところで私の頭が可哀想なことになったと思われるだけだろう。憐れみの目を向けられても私にいいことはない。

「サンキュー、物分かりがよくて助かるよ。つっても、タダで頼みを聞いてもらうのも良くないよな。お前ここで何してんの?」

「た、体操着を探してる」

「体操着?こんなところで無くしたのか?」

 こんな誰も来ないような場所で?と良君は首を傾げた。

「いや、私、いじめられてるから、どこかに隠されて、それでこういう隠しやすそうなところを探してるの」

 何かを探す素ぶりをする私に声をかけてくれるクラスメイトや優しい人もかつてはいた。でも、私がいじめられていると分かると、気まずい表情でどこかに去ってしまうのがおきまりのパターンだった。

 この人も事情がわかれば、触らぬ神に祟りなしと言って私から遠のくだろう。

 それでいい。お互いのために。きっと。

「んだよそれ」

 私の予想とは裏腹に、良君は怒りをあらわにした声色と表情で凄んだ。

「おい、そいつ連れてこいよ」

「え?」

 なんで?

「俺がとっちめてやる」

「や、やめてよ、いいよ別にこれくらい」

「よくねぇだろ、全然“これくらい”なことじゃねぇよ」

「いいって、結局、私が仕返しされちゃう」

「……確かにな」

 いつでも俺が守れる訳じゃねぇしな、と良君はため息をつく。私の説得に納得したのか、今度は腕を組んでウンウンと唸り始めた。

「……じゃあせめて、その体操着探すの手伝ってやる。また俺を犬にしてくれ」

「えっ、と……?」

 良君は尻餅をついたままの私に合わせてしゃがみこんだ。

「俺の名前と、動物の名前、言って」

「り、良君、柴犬」

 展開の早い注文についていけず狼狽える私を、良君はまっすぐに見つめてくる。逃げられない感じがして、戸惑いながら指示された通りに言葉にしてみた。

 すると、また煙と破裂音が飛び立ち、人の形をした良君は跡形もなくいなくなり、愛らしい柴犬だけがぽつんと現れた。

 やっぱり可愛い。

「お前の匂いを探すから手を嗅がせてくれ」

 無くし物探しは俺に任せろと言わんばかりに黒い鼻をこちらに寄せてくれる良君。なんて頼もしい柴犬なんだろう、と私は中身が同年代の男の子とわかっていながらもトキメキが止まらなかった。

 でもその前に……。

「撫でてもいいかな……?」

「……好きにしろ」

 

 存分に飽きるまで撫で回させて頂いてから、私たちは体操着探しを開始した。

 ふんふんと地面を嗅ぎながら進む良君の後を私は黙ってついていった。丸まったもふもふの尻尾が左右に揺れる。触りたくなる衝動を抑えて、私も視界にそれらしいものは入らないかと注意を配らせた。

 しかしやっぱり犬の嗅覚はすごいというか、先に何かを発見したのは良君だった。彼はピクンと顔を上げたかと思ったら突然駆け出してしまった。

「良君!?」

 驚きのあまり数歩出遅れた私は、なんとか良君を見失わないように後を追うのが精一杯。

 もともと足が遅いのに体力もない私にとってはしばらく走った先の、良君にとってはほんの数メートル先の、花壇の草むらの中に躊躇なく彼は飛び込んだ。緑の間から可愛らしいお尻が突き出し、フリフリと揺れ動いている。

「大丈夫……?」

 どう手伝えばいいか考えあぐねていると、すぐに良君が顔をズボッと抜き出して戻ってきた。

 口には、私の体操着の上下をくわえて。

「これ……!」

「合ってるか?」

 私は膝を折って体操着を受け取り、胸元の名前の刺繍を確認する。私の苗字がきっちりと縫い込まれていた。

「うん、これ、私の!ありがとう」

「よかった」

 ぐちゃぐちゃになった体操着を抱きしめてお礼を言うと、優しく微笑んだ良君がボフンッと犬の姿から元に戻った。

「じゃあこれで、俺のことは内密に頼むな」

「うん、というかこんなにしてくれなくても、誰にも言わないよ」

 唇に人差し指を当てて、しーっというポーズをとる良君に、本当にありがとう、と立ち上がって改めて頭を下げた。良君とはこれでお別れだけれど、良い人もいるんだって人の温かさに触れられて嬉しかった。初対面の私なんかのために本気で怒ってくれたこと、探し物を手伝ってくれたこと。無くした体操着以上のものを得られた気分だ。

 感動に浸る私をよそに、良君は自分のズボンのポケットからスマホを取り出した。

「あと、これ俺の連絡先」

「え?」

「いいから登録して。あとお前のも教えて」

「え?え?」

「いいから」

 訳も分からず、言われるがまま、押されるがままに、彼の連絡先を私のスマホに登録し、私の連絡先が彼のスマホの中に登録される。

「よし、じゃあまた困ったら連絡しろよ。行けない時もあるかもしんねぇけど、出来るだけ駆けつけるし、返信はすっから」

「え?え?なんで?大丈夫だよ、私誰にも言わないよ?」

 やることは全て終わったと言わんばかりに手を振って去ろうとする良君を慌てて引き止め、そこまで義理を働かせてくれなくても約束を守ると、意思をきちんと伝えようとした。そんな私に良君は、はぁ?と不可解な顔を向けた。

「口止め料じゃねぇよ、俺がしたいからそうしてくれって言ってんの」

「な、なんでよ?私たち初対面だよ、いまさっき会ったばっかりじゃない」

 どうしてそんなにしてくれるの?と思わず良君の袖を引っ張ってしまった。

 良君はその手の上に、私より大きな手を重ねて、

 

「困ってるから、助けたいだけ」

 

 体操着を見つけた時と同じ優しい笑みを浮かべると、私の頭をポンポンと触って、じゃあな、と今度こそ本当に良君は去っていった。

 良君の小さくなる後ろ姿を見送りながら、私は触られた頭がジンジンと熱を持ったように熱くなるのを感じていた。

 心臓が、ドキドキする。

「…………やれやれだぜ」

 自分の中で何かが弾け飛んだことに気づかないふりをするように、私は平常心を保つためのいつものおまじないを呟いた。

 

 

 

終わり

【ブログ小説】現実逃避の先の現実

 タイムリミットが着々と迫っている。

 みんな口を開く余裕などなく、今まで見たことがない程に真剣な表情になっていた。

 俺たちには、もう時間が残されていない。

 

 

 君はギリギリになるまでやらない派?それともコツコツ終わらせる派?

 この話題が出た時点で何の話かはあらかた察しがついているだろうけど、それでもこの話を続けさせてほしい。

 質問した側として、俺の回答を言わせてもらうと、もちろん俺はやる気が出るまでやらない派だ。

 やらなきゃいけないことっていうのは、どうしてこうもやる気が出ないんだろうな。別にいつやってもいいことや、やってもやらなくていいことばかりに目がいってしまう。部屋の掃除なんかは特にそうだ。

 しかもだ、いい加減そろそろやらなきゃなと思い立って、いざ目の前に立ってみると、何も考えずにとにかく手をつければいいものを、どれくらいで終わるものか計算してしまったりする。

 具体的に言えば、一日五時間やれば一週間で終わるとか、三日徹夜をすれば終わるとかだ。

 ここで冷静になってみれば、今までやらなかった物事を一週間も五時間向き合っていられるわけがないし、三日の徹夜なんてものは体力的に無理だとわかるはずだ。それはもうやるべきことを終わらせることではなく、徹夜できるかどうかに目的が変わってしまっている。

 しかし、こういうことを考えている時の自分ってやつは、いささか冷静なんてものとは程遠いところで、ありもしない幻覚の余裕を見つけてほくそ笑んでいるのだ。一週間や三日で終わるなら今やらなくても良いのでは?と。

 その甘美な響きに対する自分の体の従順性は素晴らしいもので、そうと決まればやりたいことーー特に将来役に立つわけでもなんでもないーー、とりわけゲームやら遊びやらに手が伸びてしまい、また今日も素敵な一日が楽しく終わりを告げてしまうのだ。

 言ってしまえば、それの繰り返し。繰り返される日常とはいうものの、退屈などとは縁遠く、毎日毎日好きなことに夢中になり、好きな友達と遊び呆けていれば、時間なんてものはあっという間に過ぎ去ってしまう。自分の好きに囲まれている、というまとめ方をすれば、繰り返しという言葉で言い換えることができなくもないというだけの話だった。

 好きと楽しいのリフレインほど、一生続くと信じられるものもそうそうない。下校後にランドセルを置いて身軽になってから集合した、小学生だったあの頃と何ら変わりない十代の青春がキラキラと輝いていた。もっとも、青春だと自覚したのは卒業間際になってからだったけれど。

 それこそ、高校生になってから行動範囲こそ広がったものの、中身は大して成長していないので、話題の店に長時間並んでタピオカを飲む日もあれば、誰かの家の近くに待ち合わせて公園で缶蹴りをしたこともあった。お金がかからない外遊びでも、いまだに全力疾走で汗をかけるような俺たちだった。

 その中でも一番思い出に残っているのは、よく遊ぶクラスのメンバー五人で電車を乗り継ぎまくって海まで行ったことだった。俺たちの通っている高校は内陸なので、海からはなかなか距離があり、よく駅のポスターにある、青い空に入道雲、そして海をバックに制服を着た女の子を自転車の荷台に乗せて立ち漕ぎで走るような、そんな経験とは微塵も関わりがなかった。だからこそそれを俺たちもやってみたいと思ったのだ。誰が言い出したかは覚えてない。

 自転車こそないけれど、とにかく海に行こう、と誰かの家でダラダラしていた時に誰かが言い出して、最初こそ困惑したけれど、決まってしまえばこんなものは勢いだった。

 電車に揺られながら一番安い経路を探して海へと向かう。目指すは夏のポスター。

 人気のない駅を降りると、すぐに潮の匂いが鼻腔を掠めた。馴染みのない匂いに俺たちは鼻を鳴らす。唐突に一人が走り出して、それにつられてみんなが走る。

 すぐに視界は滅多に見ることのないマリンに囲まれた。

 海だーっ!と思い思いに口にする。人はそこそこいた。けれど海水浴が禁止されている地域だったので、俺たちは靴と靴下を浜辺に脱ぎ捨て、男五人でカップルよろしく追いかけっこや水の掛け合いにいそしんだ。

 その日だけで、一生分笑った気がした。

 

「……海、楽しかったなぁ……」

「お前それ何回言うんだよ」

 俺の呟きに、隣に座る涼平(りょうへい)がこちらに目もくれずにため息をついた。ベッドサイドに置かれている目覚まし時計がカチコチと静かに深夜一時を示す。他の三人は会話に入る気力もないようだった。三人とも問題集の解答を見ながら、正解と不正解を混ぜこぜにして答えを写すことに一生懸命だ。

「現実逃避……」

「帰ってこい、早く」

 涼平だけが俺の独り言に答えてくれる。いいやつだ。

 今現在、海に行った俺含め五人は俺の部屋に集まって、テーブルに座り各々が課題とにらめっこを続けているのだ。このど深夜になるまで。

 全員翌日のための着替えは持ってきている。着替え、と言うより学校の制服だ。

 それだけの覚悟と絶望を持って、俺の家に全員が集まってしまったのだ。

 

 ……そう。

 夏休みの宿題が終わらないのである。

 今日は八月三十一日。

 ……いや、もう十二時を回ったので正確には九月一日。

 八月三十二日を錬成する方法があると言うのなら、誰か教えてくれないか。

 登校時間という名のタイムリミットまでの、あと数時間以内に。

 

 

 

終わり

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【ブログ小説】もう興味ないの

 私の人生で初めてにして最大の愛の告白は随分とこっぴどく終わりを告げた。

 中学生の頃、映画の趣味が合う男の子に、私はいとも簡単に恋をした。話していて楽しい、もっと一緒にいたい、と幼いながらに心に秘めた。

 卒業式の日。たまたま近くに誰もいない状況で二人きりになれた。元々友達として仲は良かったので、卒業かぁ、なんて当たり障りのないことを言い合う最中、私は意を決して彼に思いを告げたのだ。

 それに対する返答は思春期の女の子にとってはたいそう酷いものだった。

「俺、ブスとは付き合えないんだよね」

 お前のことは良い友達だと思ってるよ、とだけ言い残して彼は去った。私はその場で泣いた。私が醜いから、彼に振り向いてもらえなかった。彼の言葉は呪いとなり、私を絞めつけ、蝕んだ。止まらない涙と共に決意を胸に燃やして。

 絶対に可愛くなって見返してやる……!

 

 私は変わった。まずは己を知ることから。自分の体のどこが可愛くなくてどうすれば可愛くなるのか、穴があくほど鏡とにらめっこした。

 最初は体型の改善からということで、ダイエットを始めた。ネットで徹底的にダイエット方法や知識を蓄え、信憑性や効果がどうあれまずはやってみる。続けられそうだったら続けてみる。できないことはやらない。食事制限、有酸素運動無酸素運動。続けられることを第一に無理だけはしないと決めていた。流石に生理が止まった時は慌てて食事を摂ったけれど。

 次にメイク。ブスと言われたからには黙っていられない。世の中には安くて良い化粧品が沢山出ていて、技術次第でいくらでも可愛くなれると証明して見せるんだ。動画サイトでメイク動画を漁り、持っていないもの今手元にあるもので代用できるもの、正直学生でお金がなかったので、お母さんをなんとか説得しながらメイク道具を揃えていった。道具が揃ったところでメイクがうまくなるわけじゃない。夜な夜なアイラインやアイブロウをひく練習に明け暮れ、肌に合うベースメイクを見つけ、学校でバレないよう盛れるナチュラルメイクを研究した。

 そして中学卒業後に入学した高校では、努力の甲斐あってか、月に三人のペースで告白されるまでになっていた。街を歩いていて、あの子可愛い、と男の子の集団に指をさされたこともあった。

 見た目の変化だけで男子たちの扱いはこうも違うのか、と愕然としたと同時にがっかりしてしまった。言葉遣いも趣味も、中身はあの頃と何も変わっていなかったからだ。

 

 そしてまた月日は過ぎ、私は大学生になった。

 今日は授業がない平日の午前中、私は地元の映画館に一人で来ていた。この時間帯は比較的に人が少ないので、映画館での人の笑い声が苦手な私にとってはベストタイミングだった。

 人気のない発券機の前で、お目当ての映画のチケットにお金を払おうと財布をカバンから取り出していると、

「……もしかして木原?」

 男の人に後ろから声をかけられた。

 名前を呼ばれ、反射的に振り返ると、中学時代に私をとても酷いセリフで振ったあいつが、大学生の姿になって、片手を上げて立っていた。

「やっぱり木原だ!なに?お前もこの映画今から観るの?」

 私の顔を確認すると、パタパタと駆け寄ってきて、馴れ馴れしくも購入ボタンを押しかけの発券機の画面を覗き込んだ。

 地元の映画館で同じ映画趣味の中学の同級生とばったり出くわすのは、それはまあ自然なことではあった。

 しかし彼は当時私に対して何と言い放ったのか覚えていないのだろうか。私にとっては重く深い傷になり、今も傷口がグジュグジュと痛むというのに。

 彼は過去なんて何もなかったかのように、映画のワンシーンみたいに、昔の仲の良かった同級生として久しぶりじゃん、元気だった?などと揚々と話していた。

「この映画、俺も観るところなんだ。一緒に観ようぜ」

 俺奢るし、と頬を少し赤く染めながら誘ってくる彼を見て、幼い私と彼との会話を思い出した。どんなに仲良しでも映画は一人で観たいよね、と意見が一致したあの頃の会話だ。

 彼はポリシーが変わったのか、それとも、ポリシーを変えてでも見た目が変わった私と一緒に映画が観たいのだろうか。

「……木原?」

 ずっと黙ったまま何も言わない私に彼が不安そうな顔でこちらを見つめていた。

 その時、私は確信した。

 高校生の頃から、私が変わったあの日から、私は沢山の男の子にアプローチを受けてきた。デートにも誘われた。告白もされた。そんな彼らと同じ土俵に、今彼は立っている。

 

 ……やっと彼が私に振り向いてくれた。

 

 嬉しくてたまらなかった。

 中学生の私が大好きだった彼が、私を気になっている。映画代を奢った上に、あわよくば私をデートに誘おうという空気がビシバシ伝わってくる。経験上、断られるリスクの低い軽いお誘いの後は、これからご飯でも、とデートに誘導されるのはよくあることだった。それを彼がやろうとしていることが分かって、あの頃の私がようやく報われたと思った。

 だから私は、自分の持てる最大限の可愛さを放つべく、とびっきりの笑顔でこう言った。

 

「どちら様ですか?」

 

 ってね。

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終わり

 

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【ブログ小説】ロマンチックな再会を果たしたら

 SIDE.M

 

 太陽が頭の真上に登る頃、私は自作したお弁当を片手に、働いているオフィス近くの公園を歩いていた。

 私の勤めている会社を保有するビルの中には、大勢の職員が一斉に取る昼休みのために、カフェや定食屋などの飲食店も多々開店していたけれど、お世辞にも給料が良いとは言えない暮らしを強いられている私は、少しでも食費を抑えるために自炊に励み、毎日作り置きのおかずをお気に入りのお弁当箱に詰め込んで持って来ているのだった。

 ん〜、と私は空気を鼻から大きく吸い込んだ。歩を進めれば進めるほど、太陽とそよ風のコラボレーションが仕事で缶詰にされていた気分をリフレッシュさせてくれる。

 デスクワークが主な業務である私の会社では、自席で持参した食べ物を食べても良い決まりになっているが、ただでさえ出社してから退社するまで無機質な机とパソコンだらけの所に座り続けなければならないのに、一日一回の休み時間すら場所を変えなかったら頭がどうにかなってしまいそうだ。ビル内にある適当なベンチの方が、オフィスからの移動時間が少なくて済むけれど、緑を全身に浴びることができる公園まで足を運ぶのが、私の日常のささやかな楽しみになっていた。

 いつものベンチまで歩いていると、ふと炭酸の空き缶が道端に転がっているのが目に入った。すぐ横には自動販売機とそのゴミ箱があるので、入れたつもりが入ってなかったか、何かの拍子で落ちたんだろう。

 私はその空の缶を拾い上げながら、「えっへん」と得意げに胸を張る一人の男の子を思い出した。

 

「炭酸飲めないの?ダッセー」

 と、悠也(ゆうや)くんは鼻を鳴らした。

 それは私がまだ高校生だった頃。悠也くんは近所に住む小学生の男の子だった。彼の家は、学校から帰っても誰もいないことが当たり前のようで、たまに一人で遊んでいるのを見かねて私が声をかけたのが仲良くなるきっかけだった。鍵っ子なのに鍵を忘れて登校してしまい、家に入れなくなっていたらしい。

 悠也くんは最近引っ越してきたばかりで、つまり転校してきたばかりで、まだそんなに仲のいい友達もおらず、私も私で帰宅部に所属していたので、授業が終われば真っ直ぐに帰宅路についていた。そんな私たちがよく遊ぶようになるのに、そんなに時間はかからなかった。

 ある日、学校帰りの私はランドセルを置いた身軽な悠也くんと出くわし、公園の横にある自販機で飲み物を買ってあげようという話になった。

 自販機の前で「炭酸がいい!」と元気な声を出す悠也くんに対して、私は炭酸苦手だなぁという呟きへの返答が冒頭の台詞になる。

「だってベロがばちばちして痛いじゃない」

「痛くないよ!子供だなぁ」

 自分より年齢も低ければ背も低い子供に子供と言われてしまった。

「じゃあ悠也くんはコーラでいい?」

「うん!」

 お金を投入すると、自販機の一番上の段で缶コーラのボタンがキラキラと青色に光る。それを押すと取り出し口にがこん、と商品が落ちて来た。悠也くんはすぐにコーラを拾って、私が自分用にミルクティーを買うのを大人しく待っていた。

 ミルクティーとコーラを片手に、私たちは公園の中のベンチに座る。二人でぷしゅりと小気味のいい音を立てて、それぞれの飲み物を開封した。

 そして私がペットボトルに口をつけようとすると、悠也くんがそれを遮った。

「見ててね!」

 そう言うと彼はコーラをぐびぐびとまだ喉仏のない綺麗な喉に流し込んでいった。無理のない範囲での一気飲みに私は拍手を送る。

「おれ、コーラ飲めるでしょ!すごいだろ!」

「うん、すごいすごい」

 えっへん、と小さな胸板をそらすと同時に彼の口からはカエルの鳴き声みたいな盛大なゲップが漏れ、初めて聞いた声に、二人でお腹を抱えて笑い合った。

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「……懐かしいなぁ」

 思わず独りごちてしまう。彼はまだ元気だろうか。

 彼が小学校高学年にもなると友達も増え、次第に私と会う機会は減っていった。私が受験期を迎え、大学生になる頃には、もう顔を合わせることもなくなった。

 そして就職を機に、私は上京して一人暮らしを始め、たまにしか実家には顔を出さなくなり、彼がどう成長したのか全く知らないのである。

 ……悠也くんもそうだけど、

「お父さんとお母さん、元気かなぁ」

 会う機会がめっきり減ってしまった両親へ思いを馳せ、次の大型連休では帰省しようと心に決めながら、しばらく手に持ったままだった空き缶のゴミをゴミ箱へと放り投げた。

 

「……まだ炭酸飲めないのか?」

 

「え?」

 低い声がした。声の主へと振り返ると、高校生ぐらいの背の高い男の子が両手をポケットに入れてこちらを見ていた。

 どことなく既視感のある顔立ち。なんとなく聞いたことのある声。少し人を小馬鹿にしたような言い方。

 …………もしかして、

「悠也、くん?」

「…………」

 何て言っているのかは聞き取れなかったけれど、私の問いかけに彼がボソボソと小さく答えた瞬間、

 

 目の前がしゅわしゅわと炭酸水みたいに弾け飛んだように感じた。

 

 

 

 SIDE.Y

 

 引っ越してきたばかりでひとりぼっちだった頃、よく構ってくれたお姉さんがいた。俺は彼女を舞美(まみ)ちゃんと呼んでいた。

 転校先の学校にも慣れ、友達も増えてくると、舞美ちゃんと俺の距離は自然と遠のき、彼女は友達同士で遊ぶ俺に対して空気を読んだように、保護者のように、暖かい目でそっと黙って会わなくなっていった。あの時の気遣いがありがたいものだと気付いたのは、身長が180を超えたあたりだった。

 そんな舞美ちゃんが就職して上京し、もう二度と会うこともないかもしれないなとぼんやり思い始めた矢先、

 

 彼女が交通事故で亡くなったと知らされた。

 

 親から告げられた突然の訃報に、初めて身近な人が死んだことを、俺はにわかに受け入れられなかった。

 もうすぐ卒業する中学の制服に身を包み、親と一緒にドラマでしか見たことがなかったお通夜に出席すると、死化粧を施された舞美ちゃんが棺桶に眠っていた。交通事故とはいえ、外傷は激しくなかったとのことだった。

 死んだ人には何を言っても届かないとは分かっているけれど、高校生から大人になった舞美ちゃんはとても綺麗な女性になっていた。棺桶の中の彼女も、笑顔で沢山の花に囲まれている写真の中の彼女も。

 見よう見まねで焼香を行った後も前も、俺はさっぱり実感が湧かず、薄情なのか涙は出なかった。彼女との思い出も、随分とぼやけてしまっていた。

 お通夜が閉会すると、父さんと母さんに連れられて舞美ちゃんのご両親に挨拶に行った。舞美ちゃんのご両親は俺のことを覚えてくれていて、俺ごときの参列に舞美も喜ぶよ、と嬉しそうに肩を叩いてくれた。

 舞美ちゃんのお母さんが声をひそめたのは、俺が東京の高校に進学して寮生活を始める、と話した直後だった。

「……確か、悠也くんのお爺様って、神社の方よね?」

「?はい、そうですけど……」

 不思議そうに頷く俺の腕を引っ張って、他の三人から離れた場所で立ち止まると、舞美ちゃんのお母さんは、

「……誰にも言わないで欲しいんだけどね、実は、お願いがあるの……」

 と、前置きして話し始めた。

 

 曰く、舞美ちゃんは成仏していないらしい。

 

 さっきまでなんと言っているのか分からない読経をしていたお坊さんに言われたらしい。この体のそばに魂がありません、と。読経には故人に死を知らせるという役割があるが、本人に届いた手応えがなかったとのことで。もしかしたら地縛霊なんかになって死んだ所の近辺をさまよっているかもしれない、と舞美ちゃんのお母さんは続けた。

「お父さんはそういうの信じないからふざけるなって怒っちゃうし、私も体が弱いから東京まで行ってお祓いするような体力もなくて……。だからお願い、何かのついででいいから、娘を成仏させてあげて欲しいの」

 お世話になっていた時はいつもニコニコしていて、おうちにお邪魔する度にジュースを用意してくれた優しい舞美ちゃんのお母さんの頼みを無下にするなんて思いも寄らず、できる限りやってみます、と俺は深々と頭を下げた。

 

 ひとりぼっちだった俺を助けてくれた舞美ちゃんが、今度はひとりぼっちになっている。俺に出来ることがあるならやれるだけやってみようと思った。

 その後、俺は東京に引っ越す前に、じいちゃんの神社を訪ねて事情を説明した。じいちゃんはしばらく神妙な表情で俺の話を聞いていたが、全部聞き終わると、ちょっと待ってろ、と行って席を外した。

 しばらくして戻ってくると、一枚のお札を渡された。

「自覚はないようだが、悠也は霊感が強い。それに昔馴染みの縁のある人なら、このお札を体のどこかに貼り付ければ、それで成仏させることができるだろう」

 できれば顔が望ましい、と最後に結んだじいちゃんに俺は頷き、神社を後にした。

 東京に引っ越してからは、慣れない新生活にしばらくばたついた。事前に聞いていた事故現場への道のりや交通経路などを把握するのにも時間がかかり、なかなか行動には移せなかった。それでも、予想もしないところでいつ出くわしてもいいように、お札だけは肌身離さず持ち歩くように心がけた。

 やっと寮生活や高校が落ち着き、気の合う仲間も数人出来始めた頃に、ようやく、俺は休みの度に舞美ちゃんの事故現場あたりへと赴くようになった。

 なりふり構わずそこら辺を散歩している人を捕まえては写真を使って女の人を見なかったかと聞き込みをし、一ヶ月くらい経つと、毎日同じ時間に同じベンチに座る、写真に似た女性が一人だけいるという情報が手に入った。もしかしたらただの他人の空似で、この公園に来るのがルーティーンになっている人の可能性もあったが、確かめない手はなかった。

 たまたま開校記念日で休みになった平日の昼、俺は情報元へと急いだ。

 くだんのベンチへと向かう途中、自動販売機の前で空の缶コーラを拾う一人の女の人に目を奪われた。後ろ姿を見て、横顔を見て、確信する。

 舞美ちゃんだ。

「やっと見つけた……」

 なんとか出会えた達成感と懐かしさがまぜこぜになってブワッと押し寄せてきた。鼓動が早まる。心臓の音がうるさい。

 あぁ、何か、何か話しかけないと。

 あの時、友達のいなかった俺に、舞美ちゃんが声をかけてくれたように。

 意を決して、頭が真っ白のままにも関わらず、俺は舞美ちゃんに一歩近づいた。

 その瞬間、彼女の細い手からコーラの空き缶がゴミ箱に放たれるのが目に入り、口が勝手に動いた。

 

「……まだ炭酸飲めないのか?」

 

「え?」

 彼女がこちらに振り返る。

 あぁ舞美ちゃんだ。棺桶の中に眠っていた舞美ちゃんだ。実際に会うと、写真なんかより全然あの頃の面影が残っているのが分かる。

 俺は、持ち歩きすぎてくしゃくしゃになってしまったお札をポケットの中で握りしめて、ちょっとずつ近づいて行った。

「悠也、くん?」

 舞美ちゃんが、俺に気づく。

 そうだよ、悠也だよ。久しぶりだね。

 ……でも、さよならだね。

 熱いものが目頭にこみ上げてきたのを、精一杯押しとどめながら、俺はじいちゃんからもらったお札を舞美ちゃんのおでこにピタリと貼った。

「……最期に会えて、良かった」

 俺の呟きが聞こえていたのかどうかは分からない。

 

 舞美ちゃんは炭酸水みたいにしゅわしゅわと泡になって空へと消えていった。

 

 

                                                                                                                   終わり